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逆境からの巻き返し。遅咲きのパラアスリート 中村海斗選手

ファイントゥデイでは、「世界中の誰もが、素晴らしい一日を紡ぎ、いつまでも美しく、豊かな人生を送れるようにすること」というパーパス(わたしたちの存在意義)に基づき、性別や年齢、国籍、障がいの有無等に関わらず、すべての人々を尊重し、相互に関係性を深めること=ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)を大切にしています。
そうした中、多様なバックグラウンドを持つ人財が活躍しているファイントゥデイには、障がい者スポーツの世界で活躍するパラアスリート社員が在籍しています。
今回は、当社人事本部に所属し、パラバドミントンで世界を目指す中村海斗選手に、怪我からの再起、バドミントンの魅力、今後目指す目標について聞きました。

【プロフィール】中村 海斗
パラアスリート社員
2022年9月ファイントゥデイ入社。
 
<主な大会成績>
■パラバドミントン
・USA international championship 2017 SL3-4 ダブルス3位
・アジアユースパラ競技大会 2017 SU5 ダブルス3位
・Dubai international championship 2022 SL4シングル ベスト8
・日本障がい者バドミントン選手権大会 SL4男子シングル 優勝(2022年、2023年連覇)

パラバドミントンとは?
パラバドミントンは、大きく分けて、車いすと立位の2つのカテゴリーがあり、障がいによってクラス分けされています。クラス名に「WH」がついているのは車いすを使用した競技で、それ以外は立位で行う競技となります。(SLが下肢、SUが上肢、SHは低身長のクラス)
中村さんはSL4(下肢)のクラスで活躍しています。


バドミントンとの出会い、そして再会

―はじめに、バドミントンとの出会いを教えてください。
 
中村:幼稚園で空手、小学校でサッカー、水泳、キンボール(巨大で軽いアドバルーンのようなボールを床に落とさないよう、チームで協力し合う競技)と幼少期よりさまざまなスポーツに取り組んできましたが、中学校に入ってから部活動として始めたのがバドミントンとの出会いです。打ち返されたシャトルになんでも跳びつく「跳びつきバッタ」という異名を持っていました(笑)
バドミントンは、ステップワークやショットの打ち方など、競技中にたくさんのことを考えなくてはいけないのですが、それが自分の性に合っていましたね。

―そんな風にスポーツを楽しみ、夢に向かっていた時、事故に遭ってしまったのですね。
 
中村:はい。18歳の時に、料理人として人に感動を与えたい、という夢を見つけ、人生の一歩を踏み出した矢先、バイク事故に遭ってしまいました。緊急オペで一命を取り留めましたが、以前のように足が動かなくなってしまった上に、半年に及ぶ入院生活を送ることになりました。
 
―立ち直るのは簡単ではなかったのではないですか?
 
中村:そうですね。とても一人では立ち直れなかったと思います。遠方の病院まで毎日様子を見に来てくれた母や、熱い言葉で励ましてくれた友人には本当に感謝しています。
しかし、やはり精神的には本当につらかったですね。自暴自棄になっていた時期もありました。
 
―バドミントンを再開したのはその頃ですか?
 
中村:はい。入院中身体を動かさずにいたところ、かなり体重が増えてしまいました。医師の勧めもあり、リハビリの一環としてバドミントンを再び始めることになりました。始めてみたら、面白くてのめり込んでいきました。

パラアスリートとしての活動と今後の目標

―パラアスリートとしてのチャンスを見つけてくれたのはお母様だったそうですね。
 
中村:そうなんです。料理人として社会復帰を目指していたので、バドミントンはリハビリの一環で行っていたのですが、ある時母がパラバドミントンの日本代表トライアウトの情報を入手してきてくれたんです。せっかくのチャンスということで参加をしてみたことが、本格的にパラバドミントンのアスリートとして活動するきっかけになりました。
 
―パラバドミントンを始めるにあたり、特にどのような点を努力したのでしょうか?
 
中村:先ほどお話しした通り、もともと足を使って跳びつくプレーが得意だったのですが、それができなくなってしまい、より精緻にフットワークを研究するようになりました。どこがどのように動きづらいのかを計算しながら、たくさん経験を積み、あらゆるパターンを想定して、死に物狂いで努力しました。
支えてくれた家族や友人たちに「ここまで復活したぞ」という姿を見せたいという思いもありましたね。料理人を目指した時もそうでしたが、誰かに感動を与える、ということが私の大きなモチベーションになるんです。

フットワークの改善に取り組む中村さん

―その後、日本で実績を重ね、国際大会にも出場するようになったんですね。
 
中村:はい、運よく「次世代アスリート育成強化選手」や日本代表に選出いただき、国際大会にも出場するようになりました。国際大会では惨敗も経験するなど、楽しい経験ばかりではありませんでしたが、そういった経験を通して、さらに闘争心に火が付き、いっそう努力を重ねる原動力になりました。
 
パラバドミントンを始めた当初、何か他に苦労したことはありましたか?
 
中村:当初は、メジャースポーツではないこともあり、練習する場所を確保することさえままならず、本当に苦労をしました。もっとうまくなりたい、そして支えてくれた人たちの気持ちに応えたい、という強い思いで、さまざまな方のツテも頼りながら、なんとか乗り切りました。
今では、健常者の大学生に交じって練習するなど、競技者として切磋琢磨する場をいただいています。
 
―今後の目標を教えていただけますか。
 
中村:まずは、競技者として「日本障がい者バドミントン選手権大会」での連覇を継続していきたいですね。そしてその先のステップとして、アジア、そして世界へ挑戦していきたいです。
また、現在高校生の指導に携わらせていただいているので、教え子たちを全国大会に連れていきたいと思っています。指導者も生徒も日本一ってかっこいいですよね。

ファイントゥデイへの想い

代表取締役CEOの小森さんに日本障がい者バドミントン選手権大会の優勝を報告

―では、ファイントゥデイに入社したきっかけを教えてください。

中村:ファイントゥデイは、「アジアNo.1のパーソナルケアカンパニー」を目標として掲げていますが、その目標が、同じくアジアのトップを目指している自分の姿に重なったことが一番の要因ですね。しかも、扱っている製品は馴染みの深い製品ばかり。これは運命じゃないかと思いましたね。
 
―ファイントゥデイに入社して2年が経過します。どのような印象を持っていますか?
 
中村:大変有難いことに、練習に専念できる環境にいるので、オフィスを訪問する機会は少ないのですが、そんな環境であっても、自分の活動を社内SNSに投稿すると、多数のいいね!や励ましの言葉をもらえて、非常にうれしい気持ちになります。
 
―今後、交流する機会が増えていけばいいですね。
 
中村:はい。社員の皆さんと積極的に交流していければと思います。一緒にバトミントンをプレーしながら交流を深めると共に、それにより皆さんの健康増進に貢献できるような社内イベントを開催できればいいなと構想していて、現在人事本部の皆さんと話を進めているところです。開催する際はぜひ多くの皆さんに参加頂きたいです。
 
―本日はありがとうございました。中村さんのさらなる活躍、期待しています!
 
 
【インタビューを終えて】
家族思いで優しいパパの一面も持つ中村さん。娘さんと遊ぶ時が最高のリラックスタイムで、時には家族に料理も振る舞うそうです。
しかし競技の話になると、困難な状況も、不屈の闘争心と血の滲むような努力で乗り越えてきた凄みを感じました。インタビューしているこちらも、非常に勇気づけられました。
 
ファイントゥデイは、「アジアNo.1のパーソナルケアカンパニー」となることを目指しています。中村さんが日本を代表してアジア、そして世界を目指す姿は、そんな我々にとっても大きな励みになりそうです。
 
ファイントゥデイ公式noteでは、今後も多様なバックグラウンドを持つ社員を紹介していきますので、どうぞご期待ください!

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